【書評】「侵略か、自衛か」の二元論を打ち破る。地政学で読み解く『満洲事変 「侵略」論を超えて世界的視野から考える』

Tags

私たちが学校の歴史教育やメディアを通じて教わってきた「満洲事変」のイメージは、どのようなものでしょうか。「一部の好戦的な関東軍が暴走し、平和な中国を一方的に侵略して、破滅的な15年戦争への扉を開いた暗黒の歴史」——こうした、いわゆる東京裁判史観に基づく「善悪二元論」が今なお主流を占めています。

しかし、歴史というものは、一国の視点や後知恵の道徳論だけで裁けるほど単純なものではありません。今回ご紹介する『満洲事変 「侵略」論を超えて世界的視野から考える』(宮田昌明著 / PHP新書)は、その名の通り、満洲事変という歴史的転換点を「日本と中国の二国間トラブル」という狭い枠組みから解放し、当時の地球規模の地政学的なダイナミズムの中で再評価した野心的な一冊です。

書誌情報 詳細
タイトル 満洲事変 「侵略」論を超えて世界的視野から考える
著者 宮田 昌明
出版社 PHP研究所(PHP新書)
主なテーマ 満洲事変、革命外交、ワシントン体制、地政学、コミンテルン

スポンサードサーチ

本書が提示する3つの「世界的視野」

著者の宮田氏は、満洲事変を単なる「軍部の暴走」として片付けるのではなく、当時の国際システム(ワシントン体制)の機能不全と、ユーラシア大陸におけるパワーバランスの崩壊という構造的な視点から解き明かします。本書の核心となる3つのポイントを整理します。

1. 蔣介石の「革命外交」という着火点

日本の行動を「一方的な侵略」とするナラティブは、当時の中国側が「国際法を遵守する平和な被害者」であったという前提に立っています。しかし著者は、当時の蔣介石・国民党政権が推進していた「革命外交(国権回復運動)」の過激さを指摘します。

当時の中国は、既存の国際条約を「不平等条約」として一方的に破棄し、実力行使や過激な排外・排日ボイコットを通じて外国の権益を強引に奪い返そうとしていました。満洲事変の背景には、条約を無視して暴走する中国のナショナリズムに対し、正当な条約権益(満鉄や居留民の安全)を自衛せざるを得なかった日本の「追い詰められた状況」があったという事実が、詳細なデータとともに描かれます。

2. 「ワシントン体制」の限界と機能不全

第一次世界大戦後、アメリカ主導で作られた国際秩序「ワシントン体制」は、軍縮と列強の協調によって東アジアの平和を維持しようとするものでした。しかし、この体制には致命的な欠陥がありました。「無政府状態に近い中国大陸の混乱を、誰がどうやって収拾するのか」という実効的な警察力が存在しなかったのです。

英米は遠く離れた安全地帯から「条約を守れ」「平和的に解決せよ」と理想論を唱えるだけで、実際の血とコストを流して秩序を維持する気はありませんでした。隣国である日本は、この「力の空白」がもたらす直接的な脅威を前に、自らの手で秩序を構築(満洲建国)せざるを得ない地政学的な必然性に直面していたのです。

3. 背後に迫る「コミンテルン(ソ連)」の巨大な影

そして本書が最も強調する世界的視野が、ユーラシア大陸の北に鎮座するソ連(コミンテルン)の存在です。

当時、ソ連は着々と軍備を拡張し、イデオロギー工作を通じて中国の赤化(共産化)を推し進めていました。もし日本が満洲から手を引き、あの広大な土地が権力の空白地帯になれば、ソ連が南下してくるのは火を見るより明らかでした。日本にとって満洲事変とは、単なる領土拡張の野心ではなく、「共産主義の脅威から自国の生存圏(防衛線)を死守するための、極めてリアリズムに基づく予防戦争」という側面を強く持っていたことが論証されています。

結び:「道徳の歴史観」から「地政学の歴史観」へ

本書は、決して当時の日本の軍事行動をすべて無条件に全肯定するものではありません。しかし、「侵略」という一つのマジックワードで歴史を断罪し、当時の指導者たちを「愚かで邪悪な存在」として切り捨ててしまう戦後の自虐的な歴史観がいかに思考停止であるかを、私たちに強烈に突きつけます。

国際政治とは、道徳の発表会ではなく、国家の生存と国益が激突する冷酷なチェス盤です。

相手国がルール(条約)を破って実力行使に出た時、あるいは背後からより巨大な脅威(ソ連)が迫っている時、国家はどう振る舞うべきなのか。

『満洲事変 「侵略」論を超えて世界的視野から考える』は、昭和史の転換点を深く理解するための歴史書であると同時に、現代の東アジア情勢——法支配を無視する覇権国家や、力の空白を巡る地政学的な危機——を冷徹に見つめるための、「現実主義(リアリズム)」の視座を養ってくれる良書です。歴史を「善悪」ではなく「構造」で読み解きたいと考えるすべての方に、強くおすすめします。

スポンサードサーチ

1 支持する! 記事が気に入ったら支持する!をお願いします。