【目から鱗】「憲法」と「憲法典」は全く違う!イギリス・アメリカの仕組みから読み解く、日本国憲法第1条の真実

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「憲法は国の最高法規だから、何よりも偉い」 「憲法にこう書かれているから、伝統よりも憲法を優先すべきだ」

私たちは戦後の教育やマスメディアの報道によって、無意識のうちにそう思い込まされてきました。皇位継承問題においても、リベラル派の政治家や学者は「男女平等の憲法の精神に従って、女性・女系天皇を容認すべきだ」と主張します。

しかし、法学や歴史学の正統なリアル(現実主義)に立つと、ここには決定的な「勘違い」があります。実は、多くの日本人が「憲法」だと思っているものは、単なる「憲法典(紙切れ)」に過ぎないのです。

今回は、イギリス・アメリカ・日本の3か国の仕組みを比較しながら、「憲法と憲法典の違い」、そして日本国憲法第1条に隠された本当の意味を解き明かします。

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1. そもそも「憲法」と「憲法典」は何が違うのか?

まず、この二つの言葉の定義を明確に区別することから始めましょう。

  • 憲法(国体・Constitution): その国が何百年、何千年と長い歴史をかけて培ってきた文化、伝統、皇室(王室)のあり方、道徳、先例など、「その国をその国たらしめている、目に見えない国の骨組み・体質」のことです。英語の「Constitution」の本来の意味は、文字通り「体質」や「構造」です。

  • 憲法典(最高法規としての法典): その「憲法(国のカタチ)」の一部を、時代の必要性に応じて「文字の形にして書き留めた紙切れ(成文化された法典)」に過ぎません。私たちが普段「日本国憲法」と呼んでいるものは、正確にはこの「憲法典」のことです。

つまり、順序としては「本物の憲法(国のカタチ)」が遥か昔から先に存在しており、それを一時の都合で書き写したものが「憲法典」なのです。

これを理解するために、世界を代表する二つの国、イギリスとアメリカの仕組みを見てみましょう。

2. イギリスの仕組み:「憲法典」がないのに世界から尊敬される理由

世界で最も歴史ある立憲主義の国・イギリスには、実は「憲法典(一つのまとまった形式の憲法)」が存在しません。

イギリスにあるのは、1215年のマグナ・カルタ(大憲章)や1689年の権利の章典といった歴史的な文書、そして何百年も積み重ねられてきた「議会の慣習」や「裁判の判例」だけです。

イギリスの知恵: 「わざわざ一冊の法典(紙切れ)に国のカタチを固定しなくても、我が国の歴史と伝統そのものが『憲法』として国民の心の中に生きている」

イギリスは、紙切れ(憲法典)がなくても、歴史という本物の「憲法(国体)」を国民全員が共有しているからこそ、世界中から安定した法治国家としてリスペクトされているのです。

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3. アメリカの仕組み:歴史がないから「憲法典」で国を定義した

一方で、アメリカ合衆国の仕組みはイギリスと真逆です。

1776年に建国されたアメリカには、イギリスのような数千年の「固有の伝統や王朝」が存在しませんでした。ヨーロッパなどからやってきた多種多様な移民たちが、バラバラの価値観を持ったまま一つの国としてまとまる必要があったのです。

だからこそ彼らは、1787年に「アメリカ合衆国憲法」という契約書(憲法典)をゼロから作り上げ、それを神格化するしかありませんでした。

アメリカにとって「憲法典」とは、国そのものの【定義(始まり)】です。それ以前に守るべき伝統が存在しなかった人工国家だからこそ、「紙切れを最上位に置き、それを書き換えることで国のあり方を変える」というロジックが必要だったのです。

4. 日本の悲劇:アメリカの「いいとこ取り」をするリベラル派の傲慢

さて、我が国・日本はどうでしょうか。

野田佳彦氏(元首相)らリベラル勢力は、歴史も伝統もないアメリカのやり方を、歴史だらけの日本にそのまま無理やり当てはめるという決定的な「いいとこ取り(誤り)」を犯しています。

昭和22年(1947年)に現行の日本国憲法(憲法典)が施行されるより遥か昔、数千年前から「万世一系(男系継承)の天皇」を戴く日本という国(本物の憲法・国体)は完成していました。

それにもかかわらず、リベラル派は戦後の「憲法典」をアメリカの建国憲法と同じように「日本をゼロから定義した絶対的な契約書」として拝んでいます。これが、彼らが陥っている最大の盲点です。

憲法第1条は「定義」ではなく、歴史の「確認」である

リベラル派は、日本国憲法第1条の文言を都合よく解釈します。

第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

彼らはこれを「定義」だとみなします。「戦後の憲法1条に『国民の総意に基づく』と書いてあるのだから、今の国民が多数決(世論調査)で愛子天皇や女系天皇が良いと言えば、2000年の伝統もひっくり返していいのだ」という暴論です。

しかし、これは法理としても歴史としても大誤りです。憲法第1条は、定義ではなく過去から続く国体の【確認(追認)】に過ぎません。

昭和22年にこの憲法典を制定した日本国民は、天皇という存在を新しく定義したのではなく、「私たちが先祖代々受け継いできた、この尊い万世一系の国体を、新憲法のもとでも変わらずに戴き続けます」と宣言(確認)しただけなのです。

※明治憲法と文言が変わっているではないかと反論があるかもしれませんが、現在も日本国天皇は日本国を統治しています。そして関わり方も同じです。(国会の招集詔書、総理大臣の任命、外交官への 信任状捧呈)

ここでいう「国民の総意」の国民とは、今を生きる私たちだけでなく、過去に生きた数千年の先祖から、未来に生まれる子孫までを含めたすべての日本国民を指します。一時の流行病(ジェンダー平等や近代合理主義)や、野田氏ら政治家の思惑による多数決で、本物の憲法(国体・男系)を書き換える権利など、憲法典のどこを読んでも与えられていないのです。

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結び:紙切れの奴隷から目覚めよ

木に例えるなら、「新しく生えてきた葉っぱ(憲法典)の形が気に入らないからという理由で、数千年間地中に深く根を張ってきた大木の根っこ(国体・男系)を切り落とす」と言っているのが、「令和の道鏡勢力」の正体です。

憲法典(紙切れ)の解釈をこじつけて、本物の憲法(伝統)をハッキングしようとする行為は、国を中から崩壊させる劇薬です。かつてアメリカのウィルソン大統領が、自分の脳内の独善的な正義を世界に押し付けて大混乱を招いたように、薄っぺらい綺麗事は常に歴史を破壊します。

「憲法と憲法典は違う」「憲法1条は確認である」。

この国体のリアリズムを私たちがしっかりと周知させ、戦後利得者たちのまやかしのロジックを突き崩していくことこそが、日本の未来を守る確かな一歩になるはずです。

また昨今話題になっている憲法の改正ですが、この考え方を最低限知った上で、憲法の改正について論じる必要があると思います。

文末参考文献

  • 倉山満 『皇位継承の天皇家百二十六代』 (PHP新書)

  • 倉山満 『嘘だらけの日本近現代史』 (扶桑社新書)

  • 小堀桂一郎 『皇位継承論の現在 ―混迷する議論の交通整理のために』 (近代出版社)

  • 高橋和之 『憲法上の権利の観念』 (有斐閣) (※憲法と憲法典の法理的議論の参考として)

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